「友とは何か?」

kasumi-maki2007-01-23

自分の悩みを打ち明けて、慰めを受けたり出来る人。先日も札幌で高校時代の友人に相談した時、しがらみが無く、端的に意見を述べてくれた。他の人にも相談したが、どこかで何かの思惑があったり、難しいと思ったが。友人は違っていた。本当に持つべき物は良き友と思った。
 2年ほど前までは次のように思っていた。
当時、なんだか寂しく思う瞬間があった。
日々の生活で何かと「助けてほしいなあー」と思うことがしばしばであった。そんなとき気軽るに助人になれる友人がほとんどいないことに気づいた。私の生き方からすれば色々なことで飛んで行って人を助けることくらい朝飯前だった。
それがなぜか自分が困っているとき頼める友人が見当たらない。本当に現実は厳しい。私自身の気の弱さが輪をかけている。では私の存在は友人にとってどうであるか?
私はどういう訳か「お人好し」のバカで、いつも「便利屋さん」 結局は友人と言うよりは、うまく利用されるタイプの人間だったのだろうか? 今思うと結局は「便利屋○さん」だったことになる。運転はできる。頼めば断らない。二つ返事でOKする。損な性格。それとは対照的に立場が逆転して自分の場合は、残念ながら、それを満たしてくれる友人は見当たらなかった。当時私は友人に助けを求めたいと思うことしきりだった。特に介護疲れが輪をかけていたので。
「友達ってなあ〜に?」と考えてみた。
 →友達になれる要素は次のようなものかな?
1.give and take(共に成長する、共に支え合う、助け合える)
2.価値観の同じレベルで話あえる(共通の事柄で語り合う)
3.何でも言える関係(忠告も言える、聞ける、許せる)
4.どちらかが、どこかで、我慢している関係
   (それを言っちゃおしまい→こわい)
5.一緒に何か出来る(スポーツ、趣味、活動、)
Yさんとの出会いはスポーツだった。それから「旅行」そして当時は「文章」と言う共通点で話合う仲間となっていた。私としては一歩進んで、お互い「助け合う」「協力出来る」そんな関係を望んでいましたが、彼女はもう問 題を抱えてしまった私とおつきあいするのは「もうおっくうよ!」ということだった。そして彼女は、もう私を必要としなくなった。そして、今はもうお友達でも何でも無いみたい。それって。。。何か変よね?と私は思ったが、人間色々な人がいる。
私はやはりNさんにもそうした関係が「出来るといいな」と思っていた。
この季節になると、Nさんはが「筍を持ってきた。」そして春には私は付き合いからNさんに乞われて「◇◇新聞」を1ケ月購読するというパターンがあった。それも嫌になって、結局は彼女とも疎遠になっている。これはまさに「give and take」友人、知人の関係が頼みごとになると、だんだんとおっくうになってしまうことを自分も体験した。そうして見ると、私が考える、友人に助け手を求めるのはやはり間違っているということだった。 私の場合はボランティア精神が身に着いているので、何でも無償、報いを求めない状態で、人と接する事が多いのですが。自分がそうだからと言って、たいていの人は、そうはいかないのだと知らされた。だが、有料で人をお願いしている今、あれから2年後の最近は少し変わってきた。捕らえ方が別になった。「友はかけがえの無い心の友でありたい」いつまで、お互いが心底話し合える。そんな関係でいたい。それには損得は無い。心で琴線の触れ合うそんな間柄。