エッセイ

kasumi-maki2007-03-02

   あかざの木                                               
我が家には二本の杖がある。いづれも同居していた父が使っていた。父が病床につく前の数ヶ月間しかその杖は使われていない。一本は玄関の傘立に、もう一本は床の間にある。そして玄関の片隅には、まだ杖にならず未完成のままで置かれているものが数本ある。それは通称「あかざ」とよばれる野の草の茎である。根をつけたまま1メートル50センチ程の長さのもの、4〜5本束にして立てかけてある。夫が「お父さんに軽くて使い易い杖を作ってあげたい」と、栃木の実家から持ち帰ったものである。暇をみて作ろうと思ってのことであったが、夫が杖の製作を手がける前に父は他界した。それからそのあかざの木はずっとそこに立てかけてある。父が亡くなってもう十年が経つ。毎日のように、玄関でこの木を見る時、夫の父への思いやりが感じられる。その思いをじっと噛みしめながら、私は「いつまでこうしておくのかな?」としばし自問自答する。だが当の彼は、使い手を待っているのか。「お母さんの時に役立つよ」と言っていた。今、母は確かに歩行困難になっている。もう出番が来ているが、あかざの木は今もそのまま玄関にある。在りし日の父を偲ぶ、また、夫の父への愛を偲ぶものとして、置かれているように私には思われる。私が敬愛するマザーテレサの言葉に「今日、最も重い病気は、人々が互いに求めあわず、愛し合わず、互いに心配しないという病です。この病を治すことができるのは、ただ一つ、愛だけです。」と言うのがあります。玄関にあるあかざの木を通して、夫の私の両親への「無言の愛」を知ることが出来ました。