中学生の時、聞いた「悲しい言葉」

kasumi-maki2007-11-15

 私は中学生の時、数学がきらいでした。
でも、宿題をやらなかったことはありませんでした。
 ある日、数学のノ−トを忘れたのです。
「していない宿題を忘れたとはなんだ」とF先生に怒鳴られたのです。
「お昼休みに、ノートを取ってきます」と言って、私は20分の道を走って自宅へ戻り、汗をかき、必死の思いで職員室のF先生にノートを持って行きました。その時です。
「意地を張るのはやめなさい」と言われました。私はとても悲しかった。
(そんなつもりじゃない)とつっ立ていると、始業のベルが鳴りました。
「もういい、クラスへ戻りなさい」
あれから○○年経って、ノートを忘れることは、すなわち宿題をやらなかったのと同じ意味を持つことは分かりました。
それにしても、大人の先生が、子供の私にもっと温かい言葉をかけられなかったのだろうかと。
最近では私は人の言葉を心で聴きたいと思うようになりました。
目を社会に向けると、今の社会事情は何か人間の根本的なことが、欠けているように思われます。それは、社会や学校ではなく、家庭に問題があるように私には思われます。家族の絆が、か弱いものになってきているからではないでしょうか?昔は子供が学校から「ただいま!」と帰ると、「お帰り!」と温かな母の声がありました。今は自宅で待っている母親は少なくなりました。それが出来なくても、夕飯時には家族みんなが集まって楽しく団欒する等家族でのコミュニュケーションがとれるなら、それで良いのですが。どうも・・・
自立、自由、がはきちがえられ、ほんぽう奔放な人間が大人も増えてきてしまいました。家の中に「あたたかさ」を求めることが難しくなってきていることも現在の現象です。