年の瀬にチョット良い話

kasumi-maki2007-12-20

シークレット・サンタ
今年の世相を表す漢字が先日発表された「偽」だった。
なんと言うことだろう。不二家製菓、ミートホープ赤福白い恋人船場吉兆、などなど製造年月日の付け替えなど、返品の再使用など。どうも明るい話がないこの頃の日本。しかも、政治の世界でも防衛庁事務次官の夫婦の逮捕。「貰ったはずのお金を問題になりそうなので、返した」などということなど。もってのほか。と私は思う。だって、大人のする事が子どもへの手本とならねばならないはずだが、「一旦人からせしめたお金を、人にアレコレ言われたから返す」と言うなら、それではまるで、悪事と判っていて、それがばれたら「返せば良い」と言うのでは、どこに正しさがあるのだろうか?
子どもに規範を示すことにならない。「悪い事は悪い」のであり、「返せば帳消しで済む」なんてことは甚だ倫理性から言えばおかしなことだろう。
 さて、季節はクリスマスシーズンとなった。そこかしこで、夜にはイルミネーションがきれいに飾られている。
ある時、テレビでちょっとこころ和む話が放送されたので紹介しよう。それはアメリカでの実話「シークレット・サンタ」の話である。
街中で「メリークリスマス!」と言って人々に20ドル札を手渡す。いでたちはサングラスに白い服、赤い帽子に赤いズボンのおじさん。はじめは「エッ?」って驚き受け取りを躊躇する人々も居た。しかし彼は、路上で困っている人などを見ると「メリークリスマス!」と言ってお金を渡した。28年間も続けられた。「それが誰なのか」が判らないので、「シークレットサンタ」と呼ばれていた。其の彼は数年前に癌に侵された。自分がこの世を去ることを知り、「それは自分」と言い表した。そして彼は今年58歳?でこの世を去った。
 彼が28年前に、無職のとき、お腹がすいてレストランに入った。お腹を満たして勘定を支払うとき、ポケットをアレコレまさぐり、お金を探すふりをしていた。そこで店の従業員が「お金が落ちていますよ」と20ドル札を拾って渡した。それを貰い、その場は支払って店を出た。其のお金は、其の従業員が自分で落として、彼に与えたものだった。彼は「無銭飲食」という罪から逃れる事が出来た。このことが彼の心にある決心をさせた。家にいくらかの貯金があった。全部おろした。目的は、人にそれを分け与えるためだった。「メリークリスマス!」と言ってお金を配って歩くと、とても喜ばれた。それから運が向いてきた。配れば配るほど、仕事が見つかり、業績が上がった。しばらく家族にも内緒にしていた。しかし、街中で、話題になっていた。妻が或る日コーヒー店でひとり座っていると、隣の席のひとびとが、シークレット・サンタのことを話しているのを聞いた。「ねぇ、シークレット・サンタって知っている?」「ええ。知っているわよ」「見たことあるの?」「ええ。あるわよ。背が高くって・・・」妻は其のいでたちの事を聞いてこれらの会話から、「もしや・・・うちの人ではないかと思うようになった」
いつか「預金が通帳に無いわ」と言ったら「落とした」と言ったことがあった。それから28年もたっていた。長年にわたって配ることが出来たのは喜ばれる事の嬉しさを味わえた事だった。そして忘れてはいけない人。あのレストランの従業員。あの人の行為、が自分を変えたことを。それで彼はその人を探し出し、お礼を言いに行った。たくさんのお金をたづさえて。でもその人は自分がまさか、そのような大きな影響をひとりの青年に与えた事は知らなかった。彼が持参したお金は受けとらず、同じように使った。そしてこのサンタが亡くなっても。今もどこかに同じようなシークレット・サンタが出てきているとテレビは伝えていた。なんとほほえましい。
人間暖かくされると、自分の愛を人に分け与える事が出来るようになるとよく言われている。私もキットそうだと思っている。