広島原爆の日


語り継ぐ「あの熱い夏」の記憶
                                           
8月は我が国では、太平洋戦争や原爆の犠牲者を悼む時となる。戦争が終わって今年で66年目の夏になった。戦争の悲惨、「ピカドン」の記憶は私には何もない。だが、この時期になると色々な形であの忌まわしい事実が語り伝えられてきた。
私たちは今、多くの書物や映画、テレビ映像などからその生々しい出来事を知り、広島そして長崎を訪れ、夫々の原爆記念館で、遺品や写真などを通して身に沁みて迫ってくる原風景を想像することが出来る。そして伝えてくれる物や人がいなければ私たちは何も知らずに過ごしてしまうものである。
以前「1945−あの夏を忘れない」と題して朗読会があった。ヒロシマナガサキ被爆体験が朗読によって語り継がれていた。内容はヒロシマナガサキ被爆した人々が記した「この子たちを残して」永井隆著、「原爆詩集」峠三吉著、「この子たちの夏」地人会著などの文章の一部を朗読していた。
「熱い!」「熱い!」「水をくれ!」「水をくれ!」等々・・・と。
被爆した人々の叫びが朗々と読まれた。涙をこらえて押し隠し、聴いた。
この悲惨さは言葉にならないものを感じた。
忘れてはならないその記憶、もう伝える人々はだんだんと少なくなってきた。
またテレビで、被爆体験を思い切って伝えることにした人を紹介していた。ある78歳の婦人は原爆投下後の写真で自分の後ろ姿が映っているのを語っていた。それから子供をみもごった時「あなたは勇気ある方ね」とある人に言われたと話す。いま54歳の息子に原爆投下場所近くの写真が掲示されている場所へ連れて行き話す。父は「半身やけど」であったが、自分を見つけてくれた時「お前も生きていたか」と声をかけてくれたと話す。思い出したくもない記憶だが、誰にも話したくないことだった。だが、今となっては「話しておかなければ・・」と思うようになったと言う。
本当に聞けば聞く程に無残。地獄。戦争の悲惨さを知らされた。それは実際に体験した人でなければ分かりはしない苦しみだ。私は、あまりにも何も知らずに生きてきている。日本人だけが体験した原爆、まるでこの世の地獄だ。朗読はそれを赤らさまに伝えてくれていた。それは平和のすばらしさを再確認する時でもあった。この歴史を風化させてはいけないとの思いを強くした。今の私は何も出来ないけれど、世界平和を願いつつ、自分も次の世代へ語り継いでいきたいと思った。
『人間をかえせ』   峠 三吉
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ

わたしをかえせわたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんのにんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ

にんげんをかえせ
ああ!