今時の倫理感はどこに?家庭は?

kasumi-maki2006-04-22

昨日の報道「岐阜県中津川、中2女子殺される」今朝の報道「知り合いの男子高校生を逮捕」という。「何てことだ!」9年前、世間を震かんさせた連続児童殺傷事件「酒鬼薔薇聖斗」と名のる少年の逮捕事件があった。今日、新聞紙上では、毎日のように「殺人事件」が報道されている。世間もそんな殺人事件にもう驚くほどのこともないまま、報道を鵜呑みにしている。「またか」当たり前の事件簿になっている感が拭えない。我々大人も子供も「麻痺」してしまっているのではないだろうか?「何に?」「人の生命の尊さ」を大切に思う事など。それらが感じられないことを憂いに思う心すら持ち合わせていない。もしかしたら、ただ「多忙」と「自己中心のマネー第1主義」が心というものまですりきらしてしまっているのではないかとすら思われる。家庭の温かさ。ぬくもりのあるの家庭であり、英語では「at home」である。それが今は「house」になっているのではないか。きれいな1戸建ての家、立派なマンションン等々。朝食を食べないで学校へ行く小学生が増えていると報じている。なんということか!母親はどうしているのか?家のローンの支払いの為,母も稼ぎに出かけているのではないだろうか?あるいは母が母親役を放棄して、自由にしているかもしれない。子供を叱らない。子供の機嫌をとる。レストランで。母親が「○○ちゃん何食べる?」と聞いている。自分で決めることを育てるには格好の機会かもしれないが。子供がスーパーの食品売り場で走っていても、注意する人がいない。母親がいないと思って注意をしたら、すぐそばに母親がいて、その母親ににらまれたことがあった。あちらは『いやな、おばさんだぁ〜』と思っているらしい。親が子どもを甘やかし。子どもはそれが当たり前になっている。私の家の近隣では、雨の日など、車が混雑する.なぜか?親が高校生、中学生、小学生を車で送ってくるから。働かなくても、親が面倒見てくれるので「ニート」も増えている。何かが狂っているのではないだろうか?親はその子のために祈り、じっと見守る。子は額に汗して働くことを学ぶべきではないのだろうか?「祈りは労働である」と中世の教会は教えたと聞く。汗水流して働いて、糧を得ることを親自らが教えていない結果といえる。表面上は、穏やかな家庭に見えても、それが、親の子への本当の愛と鞭と祈りがなければ、それは親の自己満足で塗った見せ掛けの幸せにに他ならないようなき気してならない。自然体で、何でも話し、相談できる。素敵な家族(Family)が今どのくらいあるのかな?と思った。