母の思いと娘の思いが錯綜

kasumi-maki2006-12-27

自分らしく「生きる母」
確かに、こちらの都合で母を「あち、こちに」預けたり、
連れてきたりしているかもしれない。おかあさん、ごめんね。
づ〜っと一緒に生活したかったけど。。
それが出来なくなって。。だから今おかあさんは、ある施設で生活しているの。ヤット慣れてきたのかな?反発があって、時には自室に鍵を掛けて、誰も寄せ付けずに、食事もとらずに、自己主張していたそうですね。本当に。。なんて言って良いか。分からないの。大分今慣れ始めたのに。。年末年始だから、せめて○人育てたうちの誰かの家で暮らす。そんな計画を立てたの。結局、保育園園長を早めの退職をしたSちゃんが、「我が家でお正月を過ごしましょう」と言ってくれていた。いよいよ30日にお迎えという今になって、駄々をこねている?先日私が友人宅にいるとき、携帯電話が鳴り出ると、母からでした。いろいろな事を言いました。案の定、子供には迷惑を掛けたくない。温度湿度管理の良いここが良い。あるプライドがそうさせているのかもしれない。夜間は「オムツ」となっている現状をSちゃんや、その夫へあからさまに見せたくない部分があるのかもしれない。それで抵抗しているのかも。これは丁度5年前、私が4日家を開けるときに経験したことと同じ状態かもしれない。本人は車椅子の生活を受け入れ始め、上手に車椅子を操作している毎日。だが今回は、何とか外泊を実行させようとしている、我々であるが。本当はどうなのか?
 <気力こそ生きる力>
 2001年6月、私は2年間準備していた其国際会議のため4日間外泊した。普段私が外出する時は、ヘルパ−さんをお願いしている。同居の母が膝を悪くして、歩行困難になったためである。母は週一回整形外科へ通い、水抜きと注射をしていた。夜間のトイレ通いが難儀になり、ポ−タブルトイレを購入した。今回私は自分の外泊時には、母を何処かに預かってもらうのが一番と考えた。その前の年、秋に私が耳の手術で入院中母は、兄宅で楽しく過ごしていた。従って、私も夫も、今回も母は兄宅で過ごしてもらえると思っていた。兄夫婦も快く承諾してくれていた。早速小型テレビを買って持って行く手はずになっていた。ところが、母にとっては、大問題があった。息子のところへポ−タブルトイレを持参して行くのは、プライドが許さない。母は急に兄宅へ行くことを拒んだ。私は内心、心穏やかではなかった。自分が会議の実行委員であり、期間中は本部詰めを自ら買って出ていた。なんとしても母をどこかに預けようと、その事に心は集中していた。今思えば、こちら側のことしか考えていなかった。当時私には「待った」のきかない極限状態と思えた。
私は○○年前に老人福祉施設で働いた経験があった。真実、私なりにプライドを持って働いていたので、「親を預けるには、こんな良いところはない」と思っていた。そこで、母にショ−トステイを勧めた。母は「今の生活のリズムを壊したくない。プライバシィは守られるのか」等と質問した。私は、先ず施設入所の手続きをした。健康診断、施設見学、面接と予約。私自身にとっても、けっこう骨の折れる作業だった。 そして入所数日前になって、母の様子がおかしい。「どうして私をあっちへ行け、こっちへ行けと言うの?それなら、始めから、私とおじいちゃんを受け入れなければよかったでしょう」とものすごい剣幕で娘の私に当たり散らした。「おかあさん。どうしたいの?どうすればいいのかしら?」と私は言った。「私はどこへも行きたくないの。私はここにいたいの。」と母は言いきった。「分かったわ」と私は答えた。私は母の強い訴えに、本人の意思を尊重する方向を模索した。 苦肉の策は、幾人かの手助けを必要とすることだった。それに加えて、私が帰宅するその翌日は、奇しくも母の喜寿の誕生日である。兄弟姉妹で喜寿の祝いを兄宅でする予定もあった。そこで、喜寿祝いもわが家でする事に変更した。 幸い、首都圏在住の二人の妹と、兄の妻(義姉)が交代で来て、食事の面倒をみることになった。足りないところは、何時ものヘルパ−さんをお願いしてその場をつないだ。こうして私の留守中は私の夫の雄三とみんなの応援によつて、なんとか切り抜けることができた。 さて、会議を終えて帰宅した私は、わが家の三軒隣を通った時、意外な事実に出会い、愕然とした。母と妹が散歩する姿に出会ったからである。まさに「目からうろこが落ちた。」いままで母が歩けなかったのは、まるで嘘のよう。母の頑張りが勝った。いや、勝ち負けではない。本人の強い意思と頑張りが、病んでいた心身に影響を与え、生きる力を復元させた。人を人として。尊重する事の大切さを身を以て知らされた。「気力こそ生きる力」を実感した瞬間であった。その翌日、関東圏に住む私たち兄弟姉妹一同が集まって、自宅で大きな特製バ−スディケ−キを囲んで、和やかな喜寿祝いを行った。さて、今回も同じことが言えそうだが。。母にとって一番良いのはなんだろうか?Sちゃんは、今まで仕事オンリーで母に親孝行できなかったから、今やっとお母さんと一緒の6日間をすごそうと決意しているから。