北海道ダイナミック大周遊5日間の旅(1)

kasumi-maki2008-06-06

 旅の準備は先ず前日、動物病院へ愛猫のエミーを預ける。牛乳屋、新聞屋へ電話で休む連絡。私は教会の50周年記念の年で特に5月は3回も行事が重なっている。しかも26〜27日は伊豆行きもある。そんな状態で気持ちはいまいち乗っていなかった。と言うものの主人が楽しみにしていた「旅」である。何とか楽しい旅にしたいと彼の望むツアーに賛同した。
 そして当日、朝3時半目覚まし時計で起きる。まだ暗い。前夜用意しておいた太巻きとゆで卵、お茶でと朝食をとる。早い朝食後、5時発のバスに乗るため家の鍵をかける。ところが、外回りを見た夫が
「この雨戸が開くよ」と言って家の中に再度戻る。
「雨戸の鍵は閉めたんだけどと言いながら私も家の中に戻る。
「鍵が壊れているらしい」
「ドライバーを」
「えっ!」
「早く」
「はい」とトライバーを渡す。
彼は一生懸命ドライバーで雨戸の鍵の調整をしていた。いくらしても、だめ、最後には鍵を分解し始めた。時計を見る。もう4時半を回っている。
「早くいかなくちゃ!もう良いから」
「そうだな」と彼ももう雨戸の修理はやめた。
「それにしても昨夜のうちに気がつくべきだった。」としきりに言う。
私は「もう良いじゃない」とはじめからあきらめていた。やっと彼も、もう行かなければならない時間だと悟った。
私たちは、家を出た。はじめは駅駐車場に車を置いてでかけることを考えていたが、4日も家を空けることになる。玄関前の車庫はガレージがしまっているが、この自家用車の置き場は車が出ると柵もなくいわゆる庭に続くもので、そのまま誰でも動物でも出入りが出来る開けっぴろげの状態になる。「徒歩で行こう」と決めた。
外へ出てみると朝もやで、あたりはほとんどみわたしがきかない。そんな中を私たちは小走りにバス停留所まで急いだ。始発5時のバスを待つ人は4人、家族らしい1組が待っていた。何とか間に合った。6時過ぎ羽田に着く。6時半集合で、飛行機はJAL507便7時25分発。飛行機が飛び立って太陽が雲の上で輝いていた。しかし飛行機の司会は悪くゆれた。樹無因果シートベルトをするほどだった。こういう時、夫が飛行機嫌いであるのが私自身も今回このゆれには確かに体験的に実感できた。新千歳空港には予定より少し遅れて9時に到着した。私たちは阪急交通社ツアーの参加であった。空港ロビーで旗を持つ旅行会社の添乗員が沢山いた。その中からピンク色の旗の添乗員を捜した。そこへ30名の参加者が集まった。添乗員に誘導されて私たちは待っていたバスに乗った。北海道で最初の外気はピリピリしている。天候は曇り空、温度7℃。少し肌寒かった。バスは青に彩られたその名も「BLUE BUS」エルム観光のものだった。ドライバー佐々木さん、ガイド宮田さん、添乗員小松さんが我々の4泊5日のお供をしてくれることとなった。バスガイドさんは、途中の眺めで気づいたことをよく説明をした。千歳から少し行ったところに「島松」というところがある。ここはかの有名なクラーク博士ゆかりの地である。札幌農学校明治9年に着任し、明治10年にその任を終えてアメリカへ帰られた。その際、1期生との別れの際に、青年等に「どこまでも送って下さっても名残はつきません」とよく知られている彼の言葉、「Boys Be Ambitious’(青年よ、大志をいだけ)」と言い残し見送りに来た青年たちと別れた場所である。当時その場所は北海道札幌郡月寒村島松であった。現在の北広島市島松である。バスはその北広島市を横に見ながらライラックが咲く札幌郊外を抜け、先ずは砂川ハイウエイオアシスにつき一休み。総合物産展なのでお店をのぞく。つかの間の休憩後、バスは一路旭川へ走った。銀座ライオンが昼食処、名物ジンギスカン料理が用意されていた。それが苦手なお客様には別のものを用意してあると添乗員が伝えた。すると夫は「焼きそば」の方を注文した。私も同じメニューで舌づつみ。食後のお店で写真を撮っていると、同じツアーの老夫婦の男性が「シャッターを切りますよ」と自分から申し出た。私たちは旅行でツーショットの写真はほとんどない。彼が人に頼むのを嫌がる傾向にあるためである。記念になるので有難いと私は思う。いよいよ今日の最初の観光は「旭山動物園」見学である。バスを降りて見ると旭山動物公園では大雨になっていた。ゆっくり見て回るにも工事中などで、そうそう見るところもない。北極熊のところへ行って見た。沢山の人々がガラス越しに見ていた。修学旅行生がいたが、観客はまばらで会った。天候がそうさせたのだろう。北極熊白い大きな姿を写真に撮れた。だが、一服しようとあたりをみわたした。レストランはメニューが一般的なのだが、値段が高くて入る気がしなかった。さすが観光地と思った。私たちにとっては前評判程のものではなく、がっかりしたというのが印象だった。