母の自分史

今日母のところへ行った。お彼岸の中日なので手製のおはぎを作って持っていった。
母は便せんに小さな字で昔の情景を書いていた。自分でも読みにくい字もあったがなんとか読めたのが次のようなものだった。
いつまでも故郷(自分の生まれ育った家の事)を思っているようだった。
 私は今、昔の家のことを思い出しています。
時には絵を描きました。庭には二人も腰掛けられるような大きな石がありました。
畑では「はやと瓜」を作っていました。苺もありました。
遠い畑にぶどうや梨園があって、そこには番小屋が有りました。
プラム(すもも)も沢山あり、大好きでした。グミの木があり、それは自分の小さい頃食べたのを良く覚えています。小さな柿が食べられました。
家よりも高い渋柿が沢山なりました。それは背丈があまりに高いので職人に採らせて、皮をむき干し柿にしていました。その干し柿を大阪など遠くに住む父の兄弟たちに送っていました。
家と続いている小屋は蔵のようだった。そこには普段使わない長持ち、御膳や器物が有りました。長持ちには布団が入っていました。お膳は祝いの膳、不祝儀の膳もありました。
私は泣き虫なので、叱られてはいつもそこ(蔵)に入れられました。おばあさんが迎えに来てくれました。だからその蔵には宝物が入っているのを良く知っています。
クエンサンは酸っぱくて水で割って飲みました。サーカスになりたかったので体が柔らかくなると思って飲みました。
近くに小高い山があったので、兄のスキーで滑りました。兄は中学時代はスキーの国体選手でした。私はスキーが好きなので、弟など子供を背中におんぶして滑っていました。
おばあさんいわく、「そこは昔、キリシタンが処刑された場所」だそうです。