あの日から

あの日から10年(9・11)、爆発の世界貿易センタービルーWebからー

アメリカの、アルカイダによるテロ、と悲惨な事がらから数えるとそうなるのです。
思い出してみると、次のようなことであった。
世界貿易センタービル・ツインタワーの北棟は、8時46分にアメリカン航空11便の突入を受けて爆発炎上した。この時点では多くのメディアがテロ行為ではなく単なる航空機事故として報じた。続いて、9時3分に南棟がユナイテッド航空175便の突入を受け、爆発炎上した。2機目の激突は1機目の激突後に現場のテレビ中継を行っていた際に発生し、世界各国に1機目の衝突を臨時ニュースとして国際中継していた間に起こった事件であったため、前代未聞の衝撃的な映像を多くの人たちがリアルタイムで見る事になった、9時59分に南棟が突入を受けた上部から砕けるように崩壊した。北棟も10時28分に南棟と同様、砕けるように崩壊した。 ツインタワーは、特に北棟で人的被害が大きく、死者は約1,700人(救護活動中の消防士を含む)であった。特に突撃を受けた92階以上に被害が多く、こちらは旅客機が外側に少し反れて激突し、反対側の階段が損壊や延焼を免れたため、突入フロア以上でも延焼の少なかった部分にいた十数名は無事避難することができた。また、突入前の未然避難者も含めると約7割の人が生還している。ただしこの時、炎上部より上にいた人の一部が、煙による苦痛や絶望感から飛び降りを行い、消防士や避難者の一部が落下してきた人の巻き添えになり命を落としたといわれている。。一方、タワー崩壊後も館内で奇跡的に生き残っていた人も数名おり、それらの人々は当日夕方に救助された。
あの日から6カ月(3・11)、>東北大震災、。今もまだ、東北では、がれきの片付けも出来ぬまま、町機能も他市町村へ移ったところもあります。せめて「あと2年で元の町に帰りたい」と福島原発の隣町の町長は話していました。私の故郷、石巻市門脇地区は津波で壊滅状態。1年生1学期まで通った門脇小学校の校舎も津波の被害にあっていた。
門脇小学校ーWebページから−
そして、テレビで石巻市立病院があの日から4日間、どこからの救援も受けることが出来ずに孤立状態であったことが報道された。医師が記録していた。市民映像ドキュメントを。
震災発生時に、石巻市立病院で手術をしていた内山哲之医師は、避難せずに手術を続行した。しかし病院内が停電したことで、懐中電灯を使い手術を終わらせた。
東日本大震災から半年が経過した、石巻市立病院を取材。病院内はいまだにガレキが撤去されずに残っている。津波に襲われた石巻市立病院では、2階の窓まで津波が押し寄せ、上の3階、4階に患者を避難させていた。病院の屋上には、ヘリコプターに向けた救援メッセージが書かれた。だが、それは発見されず素通りされた。そこに約450人くらいの人々がいた。看護師たちは何もなかったように明るくふるまっていた。
東日本大震災発生から3日たっても救助がこなかったことから、石巻市立病院の内山医師は自らがれきの中そして、水につかりながら40分歩き市役所へたどり着き、救助を求めた。地震発生から68時間後、石巻市立病院にようやく救助のヘリコプターが到着した。
石巻市立病院では、重症患者から順番にヘリコプターで搬送した。すべての患者を搬送した後、医師や看護師たちが医療器具をシーツ等を身につけて病院から運び出した。
そして今は仮診療所で診察が再開されている。◇この人々の愛と勇気、実行とを心からほめたたえたい。専門職の力でもあると思った。
まったく被害にあわずに報道で見て、彼らのために祈り、義捐金をわずかばかり送ることぐらいしかできない私ですが、日本の底力を信じて、復興への道となることを祈ります。