この1年

 3月11日の東北大震災の被害の大きさを忘れてはいけない。
特別なことは出来なかった、募金に応じ、祈ること、被災地の物を復興のために買うことぐらいしか・・・被災地(福島)へ出向きボランティアをしていた友人もいた。
 こんな状況にありながら、5月に母を天に送り、そのことで、喪失感はそれほどではなかった。
ただ、昔のあることが、私は内面に「負」の部分としてが大きく膨らんだまま数か月を過ごしていた。ずっと心にため込んでいたが、最近になってある友人に話してみた。童話「王様の耳はろばの耳」の「森の中の大きな穴」のつもりで・・・
友人によって気付かされたのは、私がある罪を犯していることを知らされた。
「人を裁いていた。」沢山のことが私の頭の中で「負」の事柄としてため込まれていたのです。自分の罪を忘れ、人の事が気になっていたのでしょう。
それもまだ小学生だった頃のことに関係があるのです。ある本に「人生の中で最も難しいことの一つは、古い傷に別れを告げることでしょう。」とかかれているが・・・
「許し」があって信仰生活が成り立つのでしょう。
マタイによる福音書 / 18章 22節 では、
エスは言われた。「あなたに言っておく。七回どころか七の七十倍までも赦しなさい。
とあるが、
今、ある書物から今年の私を締めくくりたいと思います。
『人々の安全地帯』
「人を裁いたり、罪人だときめつけようとする欲求から解き放たれる時、私たちは、互いの弱さそのままに出会うことのできる場所となり、互いを隔てる壁を取り去ることができるに違いありません。神の愛に深く根ざしていると、互いに愛するようにと人々を招きたくなるものです。私たちが隠れた目的や、言わずにいる意図など持たず、自分のために利益を得ようとしておらず、ただ平和と和解を望んでいるのだということを人々が理解した時、人々は銃を戸口に置いて、敵対する人々と話す内なる自由と勇気を見い出すことでしょう。こういうことは私たちが意図していない時でさえ、しばしばおこります。私たちの和解の働きが最もよく起こるものは、私たち自身がそれにほとんど気づいていない時だと思います。私たちがただ裁かずにそこにいる、そのことが和解の働きとなってゆくのです。
   ー「今日のパン、明日の糧」ヘンリ・J・M.・ナウエン著 よりー

どうか良いお年をお迎えください。

今日をもちましてこのBLOGを終了いたします。ご訪問ありがとうございました。
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