浦島太郎の気分と思い出の検証の旅

10月2日〜5日迄、ひとり旅「函館・松前江差」でした。函館山の夜景など、函館は見るところが沢山ありましたが、五陵郭など、立ち寄って、残りはまたの機会に残しました。目的の江差は61年ぶりで「浦島太郎」の気分を味わいました。通った小学校も少し位置が下がったところにありました。我々の住んだあたりは全く面影もありませんでした。でも、私が遊んだ「豊川神社」を見つけると間違いなく「江差高校」の管理地があり、「ここが私たちが住んでいたところね」と納得しました。いにしえ街道の旧家、横山家の当主は我々の隣人の同級生でしたから、少し話が合いました。近くの旧中村家が廻船問屋として観光場所になっているところが、弟が出生の時のお産婆さんの家かと思っていましたが、その家は少し坂の上とのことでした。その家に同級生の良子さんがいました。彼女についても横山さんは「函館でお暮しですよ」と話してくれました。また、バス停の近くの喫茶店のママが教えてくださったこと、は私が一番知りたかったことでした。毎日一緒に学校へ通った雅子ちゃんは若くして(四〇歳くらい??)早くに亡くなっていることもわかりました。自分がこうして元気でいられることの幸いを感謝しました。
60年前の画像
  山車会館に飾ってある本物

      立待岬付近で
      函館山の帰り
   6歳10ケ月の頃(小学1年生の夏休み)
                       連絡船を降りて、江差行きの汽車を待っていたとき、「迷子」になった函館駅