亡き友を送る。

3月20日
雨の朝、夫とともに家を出た。バスは20分遅れで八重洲口に着いた。何とか予定通り丸の内線荻窪行き9時21分に乗れた。中野坂上駅宝仙寺に着く。夫はすぐに喪主、奥様にご挨拶。私は葬儀社へ頼んだお花代を支払った。花に囲まれた亡き友に向かって夫は声をかけていた。難病と聞いていたが、とにかく明るい人で病人とは思わせない人だった。
電話では「こちら中野、メナード化粧品です」と言ってくるほど。今回は会社を立ち上げ49年目、今は会長職であった。社長となっている長男が葬儀委員長「○○会社、○○家合同葬」となっていた。彼らは大学時代に親友でかれ来れもう40年程、会っていない。毎年年2回、夏の中元、冬のお歳暮でお互いの安否を電話や手紙でやり取りしていた。友人は長電話が好きでいつも30〜40分は話していた。いつも陽気な会話だったという、相槌を打つ夫はその時はいつも若い頃と変わらぬトレードマークの「高笑い」が出ていた。最後の電話は昨年12月末に近いころだった。珍しく夫が自分が帯状疱疹後神経痛でペインクリニックに通っていると手紙に書いたことでから電話がきていた。奥様も電話や手紙でユニークな表現が常だった。そんな彼が2年前から肺癌を患い、2月に手術してそれは成功したものの、心臓が弱って、今回「心臓麻痺」であっけなくこのようを去ったとのこと。高校時代の野球部だったという友人のお話では「医者は手術をし勧めなかったが、性格上、グタグタ病人でいるのは嫌で、自分の決断で手術したことがこんな早い逝去につながったと思う。彼らしいとしか言えない」と話していました。夫が棺の彼の顔を見つつ,いろいろなことを語りかけ最後に「長い間、ありがとう!」とあいさつしていた。
お会いできなかった私から新築祝いにいただいた我が家の玄関の「鏡」いつまでも忘れません。「ありがとうございました。どうか安らかにお休みください」