<友人から教えられたこと>

先日、教会で「年表が配られた」
内容的にはそれなりに意見があったが、
責任者から「ご容赦ください」と連絡があったので、それなりに
ある事情があって、私たちが最後まで仕上げることができなかったのだから
了承した。でも、自分としては「予算がついていない」ことを知っていたので、
指定献金をしたのだが。

私は今回、なぜ自分の名前が伏せられてしまったのか
とても気になっていた。
「その目的のために使ってほしい」ということが伏せられてしまっていることに
気分的には「納得できないでいた」

☆でも友人は聖書の言葉から教えてくれた。

「施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。」
マタイによる福音書/ 06章 03節