梅干のこと

kasumi-maki2006-03-22

毎日作る夫のお弁当に梅干を1個詰める。今朝は私も朝食に1個食べた。「出かける前に食べなさい。災難除けだからね。」と母が言ったことが思い出される。18歳で北海道の東の果ての釧路で高校を出て、4月いよいよ青森県へ出かけると時の事だ。それから時が過ぎ、やがて社会人になって、自分のお弁当に梅干を1個詰める習慣がついていた。そしてある職場で後輩が言った「Makiさん、いつも梅干一番後に食べるね」と。「えっ?そうか。。いつの間に。。そうだ18歳のあの日、出かける前に1個食べて出かけたからかしら?」 ◎今日、WBC(第1回ワールド・ベースボール・クラッシック)で日本が決勝でキューバを破り初代世界王者に輝いたことがTV、新聞に大きく報じられている。そこには、王監督、MVPの松坂投手のほか多くの選手の功績があった。ダイリーグ。マリナズ外野手の「イチロウ選手」のリーダーシップが輝いていた。彼がダイリーグへ行ったのは私の記憶が正しければ確か4年前?その頃2002年8月母が、食卓テーブルにつき、私の前にいた。食事を終えて、居眠りをしている。姿。いつもなら、食事が終わると、BSの野球、ダイリーグのマリナーズ、イチロウ選手を見るために、自分の部屋にさっさと引き上げていくのだ。。。どうしたわけかその日はそこを動かないで、その日もBS7:00からのプログラムをたのしみにしている。居間でTVを見るつもりで、待っている時のことである。。10日後になってわかったことだが、このとき母は「横紋筋融解症」にかかっていたのであった(筋肉が溶けていく病気・そのときは薬の副作用との説明だった。)2つの大学病院では何も発見されず、「どこも悪くない」と言われた。しかし母は毎日立とうとしも立てず、倒れた。南房総アメリカ式を取り入れている病院で病気がわかり、2ヶ月の入院で回復した。あれから4年後、今年の2月23日夜中、私は見た。母が倒れる。4年前のあのときと同じような母を。対応の早さもあり、再発は防げた。ブランブランの左足が低音温やけどになってしまっていた。当時は「痛さ」が自覚できなかった。今は「痛い。痛い」と言うほどになっている。現在近くの医院で入院治療をしている。あたたかな人々(医師&看護師)に支えられて、何とか回復に努めている。