母を偲ぶ

あの日から5カ月・・・
 母が亡くなって今日で5カ月。
夏、秋と仏事があり、忙しい感じ。ゆっくり母を偲ぶ間もまだ・・
季節は移り、きんもくせいの香りが庭にただよっています。
母の書いた文章の一部を読んでみる。
「          思い出すままに 
 私は今、昔の家のこと私自身の事などを思い出しています。
ところは山形県米沢市に生まれ育ちました。
時には絵を描きました。
庭には二人も腰掛けられるような大きな大理石がありました。
畑では「はやと瓜」を作っていました。苺もありました。
遠い畑にぶどうや梨園があって、そこには番小屋が有りました。
プラム(すもも)も沢山あり、大好きでした。グミの木があり、それは自分の小さい頃食べたのを良く覚えています。小さな柿は渋柿で食べられませんでした。それは「渋を取り、渋塗り」につかうものでした。家の屋根よりも高い渋柿が沢山なりました。それは背丈があまりに高いので職人に採らせて、皮をむき干し柿にしていました。その干し柿を大阪など遠くに住む父の兄弟たちに送っていました。ウコギの木が有り,春先には若芽を摘んで和物(あえもの)にして食べました。
家と続いている小屋は蔵のようだった。そこには普段使わない長持ち、御膳や器物が有りました。長持ちには布団が入っていました。お膳は祝いの膳、不祝儀の膳もありました。
私は泣き虫なので、叱られてはいつもそこ(蔵)に入れられました。おばあさんが迎えに来てくれました。だからその蔵には宝物が入っているのを良く知っています。
クエンサンは酸っぱくて水で割って飲みました。体が柔らかになりたかったので、柔らかくなると思って飲みました。
サーカスになりたいと思ったからです。
近くに小高い山があったので、兄のスキーで滑りました。兄は中学時代、スキーの国体選手でした。私はスキーが好きなので、弟など子供を背中におんぶして滑っていました。
おばあさんいわく、「そこは昔、キリシタンが処刑された場所」だそうです。」
 ◇頑張った母に感謝をこめて、母の書いたものを紹介してみました。
お母さんごくろうさま!
続きもいつか書きましょう。